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それにしてもインド

それにしてもインド

今年で社会人(業界歴)10年目になりました。 メディアコンテンツのアシスタントプロデューサーの五十嵐です。 今回は1つ、私の思い出話をさせていただきます。 AD 2年目の秋のこと。 プロデューサーが帰り際に、私を呼びました。 ――― 明日の資料、ちゃんと確認しておいてね。 ――― それと、五十嵐、ちょっとインド行ってきてくれ。 ――― え? インドですか? そもそも、ちょっとコンビニ行ってきてくれ、みたいなテンションで言うことなのだろうか。2年目で海外ロケなんて光栄なことかもしれない。でもまさか、ヨーロッパでも、南国の楽園でもなく、インド・・・。よくわからないまま出国の準備は進み、数日後には不思議の国インドに降り立っていました。
あれから約8年。 あの時に出会った人たちの暮らしは、今どうなっているのだろう。 どうか無事でいて欲しい。 死者30万人以上というニュースはあまりに衝撃的で、今日もこうして平穏な毎日を送れることは、全然当たり前なんかじゃない。そう強く感じています。 私が知っているインドはほんの一部ですが、紹介したいと思います。 到着は夜。灼熱地獄かと思いきや、 涼しくて心地良い風が吹いていたことを思い出します。 滞在ホテルがあった首都デリーには、2つの対照的な区域が存在します。 富裕層が住む「ニューデリー」と、庶民が住む旧市街「オールドデリー」。 ネオン街で陽気にお酒を飲み歩く人たち。 その一方で、灯りもない路地で物乞いをする子供たちがいることを、この目で見て初めて知りました。 マクドナルドにビーフパテが存在しないことや、冗談みたいに毎日毎食ほぼカレーを食べることも、現地に行ったからこそわかったインドの日常でした。 市場に並ぶ色鮮やかな果物、謎のカレー味のジュース、自転車の荷台に猿を乗せている人も、微笑みかけてくれる赤ちゃんも、夕陽に浮かぶ街並みも忘れることができません。
肌から伝わる熱気と、底知れぬエネルギー。 みんな力強く命を生きていました。 私が見たこと、感じたことが1滴残らずTV画面を通して視聴者に伝わればいいのにと思いました。 テレビはウイルスと闘えないし、世界を救うこともできないけれど。 惨状を伝える報道番組がある限り、笑顔を届けるバラエティ番組にも存在意義はあるはず。 私たちが作った番組が、誰かを少しだけ元気づけたり、日々の小さな楽しみや癒しになったり、何かを考えたり、1歩踏み出すきっかけになればと。そんな風に思うのです。 元通りの生活に戻れたなら、日本を飛び出して、心躍る景色や、ちょっとした幸せや希望を届けられるような、そんなコンテンツに携われたらいいなと思います。 たかだか業界歴10年程度のくせに偉そうなことを語ってしまいましたが、仕事を辞めたいと思ったことは、これまで通算170回ぐらいあります。 でも、インドロケのあの時の思いがあるから、今でも続けているのかもしれません。 またいつか、ちょっとインド行ってきます。
Text by
制作技術本部 コンテンツプロデュースグループ
メディアコンテンツ五十嵐 愛実